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ひよこが先です

お気に入り: 3 初稿: 2026/02/03 完結: 2026/06/07 編集: 未設定
ひよこ ファンタジー 日常

もくじ

プロローグ

 そのひよこは、生まれた瞬間から少しおかしかった。 なにしろ、鳴き声をあげるよりさきに、ため息をついたのだ。 もともとその金色の卵は、とある農家の鶏小屋に落ちていた。 不気味な卵に鶏たちは距離を取り、 「関係ない」とでも言いたげに避けていた。 仕方なく家主は卵を家に運び、孵卵器にいれ寝室に置いた。 すこし前に配偶者を亡くした家主は、たまごに毎晩語りかけた。 家族、腰痛、若い頃の自慢話。 卵は沈黙を守っていたが、実は全部聞いていた。 ある朝、パキッと殻が割れた。 飛び出したのは、金色でも神々しくもない、 やや寝ぐせ気味のひよこだった。 ひよこは部屋を見回し、 深刻そうにうなずいてから言った。 「はぁ……まずい場所に生まれた気がする」 こうして、だいぶ先行きの怪しい物語が始まった。

ひよこ生まれる

 声に気づいた家主が、顔を近づけ言った。 「おまえが、しゃべったのか?」 ひよこは小さく肩をすくめるような仕草をし、再び「はぁ……」と息を吐く。 生まれて初めてみた生き物は、やさしい母鶏ではなく、しわがれた声の人間だった。 状況を理解したひよこの顔は、生後三十秒とは思えないほど渋かった。

 「……まあ、たまにはこんなこともあるか」 ひよこは慣れた手つきで殻をくだき、いくつかを羽の隙間にしまいながら言った。 「ありがとう、じいさん。世話になった。礼として、残った殻を置いていくから、好きにしてくれ。それなりの価値はあるはずだ」 ひよこは机から飛び降り、部屋の出口の方へ歩いていった。

 家主はしばらく口を開けたまま、去っていくひよこの背中を見送っていた。 やがて我に返り、慌てて声をかける。 「待て。……待て待て待て。なんで言葉を。おまえはいったい」 ひよこは立ち止まり、振り返った。 片目だけ細め、値踏みするように家主を見る。 「ま、そうなるよな。しかたない、情報整理から始めるか」

 ひよこは振り返って言った、 「説明すると長くなる。まず、おれはしゃべれるひよこだ。いくつか確認したい。」

 家主の返事を待たず、ひよこは続けた。 「言葉は通じるな。文明も許容範囲。そうだ、ネコはどこに?」 勢いに押され家主は指す。 「猫?猫ならそこに」 丸くなった猫を見て、ひよこは首を振る。 「あれじゃない、しゃべるネコだ」 不思議そうな表情の家主が答える 「猫はしゃべらんぞ。……いや、ひよこもだが」

ひよこ旅にでる

 家主の言葉に嫌な予感がした。 (あいつがいない? そんなことは初めてだ。思えば、すりこみの対象が人間だったのも初めてか。……今までとは何かちがう) 家主が続けた。 「いや、あそこなら——」 「心当たりが?」 「町外れにサーカスが来てる。もしかしたら、そんな猫もいるかもな」 「わかった。行ってみる」

 「ちょっとまてーー」 ひよこを引き止めた家主の手には赤いバンダナ。 「なんだこれ?……george、ジョージ?」 「文字も読めるか。驚いたな。それは息子につけるはずだった名だ。もらってくれ」 「俺には名前なんて不要だが。……まあ、世話になった」 こうして、赤いバンダナを巻いたひよこの旅が始まった。

 次の日。 町外れのサーカスは、歓声と甘い匂いに包まれていた。ひよこは柵の隙間をすり抜け、テントの影をのぞき込む。出番を待つ動物の檻、籠。——ネコはいない。 「……はずれか」 (羽がむず痒い。いつもより成長が早い?) 一番奥に、鳥籠を見つけた。 近づくと、虚な目のひよこがこちらを見ていた。

 「なんだ、入団希望か?」 鳥籠の中からの予期せぬ言葉に戸惑っていると、声の主は自嘲気味に続けた。 「……なんてな、あるわけないか」 我に返ったひよこが答える。 「あんた、言葉がわかるのか?」 その声を聞いた瞬間、鳥籠のひよこの目に生気が戻る。 「これは驚いたな。なるほど、これはつまり……」

 鳥籠のひよこは、何かを組み立てるようにうなずきながら呟いている。 耐えかねたひよこは籠に顔を寄せた。 「なあ、おい。1人で納得してないで説明してくれよ」 猫が見つからない焦りが声を尖らせた。

 鳥籠のひよこは、かすれた声で言った。 「猫は来ない。少なくとも、向こうからはな」 「どういう意味だ」 「思い出せ。……いや、思い出せないから、ひよこなんだ。俺たちはたぶん、人だった。何かから逃げて、ここへ落とされた」 鳥籠のひよこは、そこで言葉を切った。

 虚ろな目が、赤いバンダナの文字に吸い寄せられる。 「ジョージ」 その名を読んだ瞬間、鳥籠のひよこの体が震えた。 「……そうか、そうだった。俺はジョージを、友を裏切った。……あいつを置いて、俺は逃げた」 「すまなかった。ジョージ。これが俺への罰なら、どんな報いでも受ける」

 「俺はジョージじゃない」 「わかってる。だが、頼む。謝らせてくれ」 鳥籠のひよこは、頭を深く下げ謝罪した。 そして頭を上げ、静かに息を吐いた。 「……ずっと詰まっていたものが、やっと消えた」 その声は、もう檻の中にはいなかった。

ひよこにわとりになる

 鳥籠のひよこが淡く光った。羽は伸び、足は太く、もうひよこではなくなっていく。 「人間に戻るわけじゃないんだな」 バンダナのひよこが言うと、彼は困ったように笑った。 「遅すぎたんだろうな。でもいいんだ、俺は十分長く生きた。最後にお前に会えたこと、そして友を思い出せたことに感謝するよ」

 そして、バンダナを見ながら続けた。 「お前は、まだ間に合う。思い出せ。お前が逃げたものを。その姿になった原因を」 「おれが逃げたもの」 その言葉で、ひよこの頭に微かな記憶が浮かび上がる。 かつて自分にも名があった。 誰かが、何度もその名を呼んでくれた。 けれど彼はそれを拒絶した。

 「……よく思い出せないけど、名前なんて、不要だと思ってた」 彼はバンダナの文字をなぞった。 ジョージ。家主が、失った誰かの代わりにくれた名。 「でも、もらったなら、捨てちゃだめだな」 「そうだ。お前ならきっと大丈夫だ、……ジョージ」 ひよこは初めてその名にうなづいた。

 「そうだ、あんたの名前は?」 鳥籠の中の安らかな寝顔から返事はなかった。 「……そうか。これから俺は名前のお礼を言いに行くよ」 「またな、ジョージの友達」 来た道を引き返す後ろ姿にはひよこの面影はなく、足取りは軽い。 どこかで猫の笑う声が聞こえた気がした。