進行状況
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次の日。 町外れのサーカスは、歓声と甘い匂いに包まれていた。ひよこは柵の隙間をすり抜け、テントの影をのぞき込む。出番を待つ動物の檻、籠。——ネコはいない。 「……はずれか」 (羽がむず痒い。いつもより成長が早い?) 一番奥に、鳥籠を見つけた。 近づくと、虚な目のひよこがこちらを見ていた。
これまでの物語
そのひよこは、生まれた瞬間から少しおかしかった。 なにしろ、鳴き声をあげるよりさきに、ため息をついたのだ。 もともとその金色の卵は、とある農家の鶏小屋に落ちていた。 不気味な卵に鶏たちは距離を取り、 「関係ない」とでも言いたげに避けていた。 仕方なく家主は卵を家に運び、孵卵器にいれ寝室に置いた。 すこし前に配偶者を亡くした家主は、たまごに毎晩語りかけた。 家族、腰痛、若い頃の自慢話。 卵は沈黙を守っていたが、実は全部聞いていた。 ある朝、パキッと殻が割れた。 飛び出したのは、金色でも神々しくもない、 やや寝ぐせ気味のひよこだった。 ひよこは部屋を見回し、 深刻そうにうなずいてから言った。 「はぁ……まずい場所に生まれた気がする」 こうして、だいぶ先行きの怪しい物語が始まった。
声に気づいた家主が、顔を近づけ言った。 「おまえが、しゃべったのか?」 ひよこは小さく肩をすくめるような仕草をし、再び「はぁ……」と息を吐く。 生まれて初めてみた生き物は、やさしい母鶏ではなく、しわがれた声の人間だった。 状況を理解したひよこの顔は、生後三十秒とは思えないほど渋かった。
「……まあ、たまにはこんなこともあるか」 ひよこは慣れた手つきで殻をくだき、いくつかを羽の隙間にしまいながら言った。 「ありがとう、じいさん。世話になった。礼として、残った殻を置いていくから、好きにしてくれ。それなりの価値はあるはずだ」 ひよこは机から飛び降り、部屋の出口の方へ歩いていった。
家主はしばらく口を開けたまま、去っていくひよこの背中を見送っていた。 やがて我に返り、慌てて声をかける。 「待て。……待て待て待て。なんで言葉を。おまえはいったい」 ひよこは立ち止まり、振り返った。 片目だけ細め、値踏みするように家主を見る。 「ま、そうなるよな。しかたない、情報整理から始めるか」
ひよこは振り返って言った、 「説明すると長くなる。まず、おれはしゃべれるひよこだ。いくつか確認したい。」
家主の返事を待たず、ひよこは続けた。 「言葉は通じるな。文明も許容範囲。そうだ、ネコはどこに?」 勢いに押され家主は指す。 「猫?猫ならそこに」 丸くなった猫を見て、ひよこは首を振る。 「あれじゃない、しゃべるネコだ」 不思議そうな表情の家主が答える 「猫はしゃべらんぞ。……いや、ひよこもだが」
家主の言葉に嫌な予感がした。 (あいつがいない? そんなことは初めてだ。思えば、すりこみの対象が人間だったのも初めてか。……今までとは何かちがう) 家主が続けた。 「いや、あそこなら——」 「心当たりが?」 「町外れにサーカスが来てる。もしかしたら、そんな猫もいるかもな」 「わかった。行ってみる」
「ちょっとまてーー」 ひよこを引き止めた家主の手には赤いバンダナ。 「なんだこれ?……george、ジョージ?」 「文字も読めるか。驚いたな。それは息子につけるはずだった名だ。もらってくれ」 「俺には名前なんて不要だが。……まあ、世話になった」 こうして、赤いバンダナを巻いたひよこの旅が始まった。